2021クラファン挑戦中!|「普通」という言葉の定義|みき

更新日:7月1日



こんにちは、さっぽろレインボープライド実行委員のみきです。今日は「普通」という言葉で私が考えていることをお話ししたいと思います。

江戸時代に、塙保己一(はなわほきいち)という盲目の学者がいました。


ある夜、保己一が自宅で弟子たちに学問を教えていました。

すると、風が吹いてろうそくのあかりが消えてしまったのです。

弟子たちは何も見えません。


そうとは知らずに話を続ける保己一。

弟子が言いました。


「先生、少しお待ちください。いま、風で

あかりが消えました。」


弟子たちが慌てているのを知ると、

保己一は笑いながら冗談を言いました。


目が見えるというのは不自由なものだ。」


目が見えないことは不自由」だと思うことは、普通なのか? 普通じゃないのか?

そもそも私が普通って思う感覚は一体どこからくるのか?

この感覚は、そのときの環境だったり、私自身のあり方や心の持ち方だったりで変わってしまう。


塙保己一は戦前の国語や道徳の教科書に掲載されていた偉人で、あのヘレン・ケラーも尊敬したそうです。

この教科書で学んでみたいなぁ。普通って何なのか、答えがあるのか、ないのか。

なぜ戦後の教科書で消されたのか。



ちなみに赤飯には甘納豆(大)が私の普通です。

これは生まれてきた環境が支配しているのかなぁ。

だからといって、あずきや甘納豆(小)を受け入れないわけでもない。



赤飯だけじゃなくて、相手が普通と思うことを、「あーそうなのね。それでいいんじゃない。」くらいのゆるさでみんなが受け止めれたら、もっと優しい世界になるのにね。



活動報告になっていなくて、すみません。

そして、クラウドファンディングのご支援ありがとうございます!

引き続きよろしくお願いいたします。


一緒に世の中を変えていきませんか?

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